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ばくせきざんそぞうのしさするもの
麦積山塑像の示唆するもの
和辻 哲郎
名取洋之助「麦積山石窟」岩波書店、1957(昭和32)年4月20日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,507 字 · 9 页
また伊東博士の雲岡の報告も、フランスのシャヴァンヌのそれとともに、雲岡についての知識の権威であった。ところで、その時に見せてもらった雲岡の写真は、朦朧とした出来の悪いもので、あそこの石仏の価値を推測する手づるにはまるでならなかったのである。
木下杢太郎君が自ら雲岡を訪ねて行ったのは、その後まもなくのことであったように思う。同君と木村荘八君との共著『大同石仏寺』が出たのは関東震災よりも前である。これでよほどはっきりして来たが、しかしまだ雲岡の全貌を伝えるには足りなかった。その後二十年くらいたって、奈良の飛鳥園が撮影しに行き、『雲岡石窟大観』という写真集を出した。水野精一君たちの精密な実地踏査が始まったのもそのころで、その成果『雲岡石窟』十五巻の刊行が終わったのは、つい数年前のことである。これで雲岡遣蹟の紹介の仕事は完成したといってよいが、しかしそれは伊東博士が撮影して来られてから、半世紀たってのことである。
麦積山はその雲岡に劣らない価値を持った遺蹟だと思われるが、それをわれわれに紹介する仕事は、名取君によって一挙にしてなされたように思う。もとよりその詳細な測定や記述の仕事は、今後に残されているでもあろうが、しかしわれわれのような素人が、推古仏の源流を求めていろいろと考えてみるというような場合には、これで