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こくしかんさつじんじけん
黒死館殺人事件
小栗 虫太郎
「新青年」博文館、1934(昭和9)年4月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 296,741 字 · 584 页
ところが、僕が彼夢みぬ――と云った一言から、偶然その緊張が解けたので、そこで抑圧されていたものが一時に放出され、注意を自分の掌に向けるだけの余裕が出来たのだ。そうなって始めて、右掌の無名指が不安定を訴えだしたことは云うまでもない。そうして、あの解しきれない顫動が起されたという訳なんだよ。ねえ支倉君、闇でなくては見えぬ樺の森を、あの女は指一本で、問わず語らずのうちに告白してしまったのだ。その、(樺の森――彼夢みぬ)とかけて下降していく曲線の中に、なんと遺憾なく、クリヴォフ夫人の心像が描き尽されていることだろう。支倉君、いつぞや君は、詩文の問答をツルヴェール趣味の唱合戦と云ったことがあったっけね。ところが、どうしてそれどころか、あれは心理学者ミュンスターベルヒに、いやハーバードの実験心理学教室に対する駁論なんだよ。ああいう大袈裟な電気計器や記録計などを持ち出したところで、恐らく冷血性の犯罪者には、些細の効果もあるまい。まして、生理学者ウエバーのように自企的に心動を止め、フォンタナのように虹彩を自由自在に収縮できるような人物に打衝った日には、あの器械的心理試験が、いったいどうなってしまうんだろう。