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くろふねぜんご

黒船前後・志士と経済他十六篇

服部 之総

服部之総『黒船前後・志士と経済他十六篇』。同一底本的分册已合并为一书。收入:黒船前後、志士と経済、空罎、加波山、咸臨丸その他、汽船が太平洋を横断するまで、黒田清隆の方針、黒船来航、新撰組、せいばい、尊攘戦略史、撥陵遠征隊、福沢諭吉、武鑑譜、望郷、蓮月焼、Moods cashey。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 121,901 字 · 247 页

青空文庫

将来ここに皇居を移すと声明して、旭川の高台に離宮予定地を設定したのは明治二十二年、皇居をおくからには、皇室の藩屏もここに土地をもつべきであると華族によびかけて、官有地からめぼしいところを払下げ、東鷹栖村の松平農場、深川の菊亭農場、雨龍の戸田農場や蜂須賀農場そのたがうまれた。いっそう入念に京都風な市街区画が完了して一般人の入市をゆるしたのは明治二十五年、そのときまでにはビバイ、チャシナイ、滝川その他の札幌旭川間の要路に、屯田兵が配置され、永山、東旭川にもおかれていた。屯田兵の資格を士族から一般農民にひろげたのは二十三年のことだ。永山という村名は兵団長の名をとったのであろうが、彼が新設第七師団長に昇格して、旭川に鎮将となったのは明治二十七年のことである。皇居は移らなかったが、北海道中もっとも保守的な都市旭川が、こうしてうまれた。旭川の明治史は、そのまま北海道の明治史である。札幌にのこる古典アメリカの「大望」の文化は、ここ旭川の明治の支柱に阻まれ、酷使され、やがてひそかな民心となって、啄木や有島武郎の悲劇を孕んでゆくのである。

――私はあまりに多く昔を語りすぎたというのであろうか? 旭川の大練兵場に夏草生い茂り、兵舎は学芸大学の校舎そのたに割当てられ、この土地でふるくから信頼されてきた医師藤井家の三兄弟から熱心