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ぜんのけんきゅう
善の研究
西田 幾多郎
線上閱讀西田 幾多郎《善の研究(ぜんのけんきゅう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 頁
それで活動説より見て、善とは先ず種々なる活動の一致調和或は中庸ということとならねばならぬ。我々の良心とは調和統一の意識作用ということとなる。
調和が善であるというのはプラトーの考であった。氏は善を音楽の調和に喩えておる。英のシャフツベリなどもこの考を取っている。また中庸が善であるというのはアリストテレースの説であって、東洋においては『中庸』の書にも現われて居る。アリストテレースは凡て徳は中庸にあるとなし、たとえば勇気は粗暴と怯弱との中庸で、節倹は吝嗇と浪費との中庸であるといった。能く子思の考に似ている。また進化論の倫理学者スペンサーの如きが、善は種々なる能力の平均であるといっているのも、つまり同一の意味である。
しかし、単に調和であるとか中庸であるとかいったのでは未だ意味が明瞭でない。調和とは如何なる意味においての調和であるか、中庸とは如何なる意味においての中庸であるか。意識は同列なる活動の集合ではなくして統一せられたる一体系である。その調和または中庸ということは、数量的の意味ではなくして体系的秩序の意味でなければならぬ。然らば我々の精神の種々なる活動における固有の秩序は如何なるものであるか。