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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

線上閱讀吉川 英治《忘れ残りの記(わすれのこりのき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 頁

青空文庫

そのため母が泣いた例をぼくらは何度も見聞きした。何が原因か、往々、理解に苦しんだものだが、ぼく自身が成長して、複雑な人間心理やら家族制度のもつ因習の醸すところなども多少分るようになってからは、その不審もやや解けてきた。要するに、負けん気のつよい、そして親戚間にさえ対抗意識をもつ父が、逆境に依る偏狭のなせるわざだった。父と斎藤とは、その性格から生活環境すべてが、まったく相反噬するものを持っていたのだ。

だが日頃、母が慕う親身の人と覚えていたぼくは、後に、苦学の志望をもって出京した時、その斎藤家の玄関を一ばん先に頼って行ったものだった。それやこれやもあるので、この伯父のことはもっと知っておきたいと考えていたが、もう旧事を知っている人も周囲にいないので、文芸春秋誌上で母の生い立ちにちょっと触れたさい、姉の嫁ぎ先の人として、唯その氏名を引合いに出しておいたに過ぎなかった。

ところが、つい最近、文春の一読者として、思いがけない人からお手紙をもらった。それに依って、さきに書いた近藤真琴の攻玉舎の事だとか、母と斎藤との関係なども、ぼくの忘れ残り程度でなく、かなり具体的に分ったのであった。