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さんじゅうにこく

三十二刻

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《三十二刻(さんじゅうにこく)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 15,273 字 · 31 頁

青空文庫

一

一

「到頭はじめました」

「そうか」

「長門どのでも疋田でも互いに一族を集めております。大手の木戸を打ちましたし、両家の付近では町人共が立退きを始めています」

「ではわしはすぐ登城しよう」

「いやただ今お触令がございまして、何分の知らせをするまで家から出ぬようにとのことです。騒動が拡がってはならぬという思召でしょう。しかし用意だけはいたしておきます」

父と兄とが口早に話している隣の部屋から、娘の宇女が間の襖を開けて現れた……面長のおっとりとした顔だちであるが、今は色も蒼ざめ、双眸にも落着かぬ光があった。

「兄上さま、ただ今のお話は本当でございますか」

「いま見てきたところだ」

「疋田でも一族を集めておりますの?」

「それを訊いてどうする」

父の嘉右衛門が睨みつけるのを、宇女は少しも臆せずに見返して、

「次第によってはわたくし、すぐにまいらねばなりません」

「なにを馬鹿な、おまえは疋田を去られたのだぞ。どんなことが起ろうと疋田とはもう関りはないのだ。いいから向うへ退っておれ」

「わたくし疋田の妻でござります」

宇女は平然と云った。

「……お舅さまの仰付けで一時この家へ戻ってはおりますが、まだ主馬から離別された覚えはござりませぬ」