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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
線上閱讀風巻 景次郎《中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 115,977 字 · 230 頁
一体定家がたよっていた人々はみないずれかといえば、鎌倉に対して何らかの関係のある人たちであった。上にかかげた系図をよく見ていただくと判るが、九条家と西園寺家とは姻戚関係があり、九条家は頼朝と姻戚関係があったので、後京極摂政良経の子道家と、西園寺公経の女との間に出来た頼経が、実朝の亡くなったあと、将軍に立てられたのは尤もだった。それに、頼朝存生中も、兼実や慈円やは、東西の外交に、惟れ努めた方だったから、この家筋の人々は鎌倉追討の御企てのおりは、警戒して敬遠されており、慈円などは『愚管抄』という歴史論を書いて、諷諫するという風であった。定家は前に述べたように、その九条家の家司をつとめたし、公経の姉を妻に迎えているから、自然鎌倉にも縁が出来て、実朝の添削をするようにもなり、嫡子為家には関東の豪族宇都宮頼綱の女を娶るという風であった。しかもそれは北条時政の孫女であったのである。定家の関東との関係の程が判るのである。
後堀河天皇が位に即かれると、西園寺公経が内大臣になり、ついで太政大臣になり、ややおくれて、嫡男実氏が内大臣になった。また良経の弟九条良平が内大臣になり、ついで左大臣に昇り、道家はまた少しおくれて関白に就いた。