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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
線上閱讀吉川 英治《忘れ残りの記(わすれのこりのき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 頁
そんな煩悶はくだらないと諦めていられる人間だからいいが、よく考えてみると、癪にさわることでもあるのだ。なぜなら社会は無知を恥じるようにできているが、人間の口ぐせに云う「おれが」でも、「われわれ」でも、その生命の出発点から、てんで自分でも分っていない「おれ」なのだ。
発車駅の東京駅も知らず、横浜駅も覚えがない、丹那トンネルを過ぎた頃に薄目をあき、静岡辺でとつぜん“乗っていること”に気づく、そして名古屋の五分間停車ぐらいからガラス越しの社会へきょろきょろし初め「この列車はどこへ行くのか」と慌て出す。もしそういうお客さんが一人居たとしたら、辺りの乗客は吹き出すに極っている。無知を憐れむにちがいない。ところが人生列車は、全部の乗客がそれなのだ。人間が生れ、また、自分も生れているということは、じつに滑稽なしくみである。
人権がある以前に、人間には、当人の諾否なく、その人権を附与するという人権無視がある。むかし直木三十五が苦楽かオールに書いた半自叙伝的な物の書き出しには「――いったい、おれがこれからオギャーと生れ出る所は、どんな暮しの家かと、恐々、おふくろのヘソの穴から外を覗いてみると、家は大阪のゴミゴミした横丁で、おやじは古着屋らしく、無精ひげを生やして、ボロの山の中でゼニ勘定か何かしているし、おふくろはピイピイ