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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
線上閱讀室生 犀星《我が愛する詩人の伝記(わがあいするしじんのでんき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 頁
だからお千代はこんどは書いて貰わなければ、またの機会がなくなると、今日立つという朝の間に食膳をはこびながら、彼女は両手を畳についてうやうやしく言った。つまりこの人は声帯がきれいであり、こういう恭々しい礼儀の場所をつくるために、うまくからだつきまで出来上っていた。
「先年お約束いただきましたお色紙は、書いていただけましょうか、お色紙は用意してまいりましたが。」
「あ、あの時の方でしたね、お約束だから書きましょう。」
「ありがとうございます。」
お千代は次の間に用意して置いた硯と色紙を、食後に藤村の机のうえにならべた。藤村はこの板についた彼女の礼儀のほどを愛し、こんな田舎にこのように心得のある女を見ることが、今日立つという間際では、はなはだ典雅なものに思われた。
お千代は硯をまた畳のうえに下ろして、墨をすりはじめた。信州では藤村の短冊色紙は喜ばれ愛蔵されていたが、それを手にいれることも容易ではなかった。白皙聡明な威力を見せてきちんと坐っている藤村の前では、宿の者達も窮屈な思いがして近寄れなかった。お千代はそこを踏み込んで何かを書かせようとしている。普通の女中達のようにだんなさん、何か書いて下さい、記念に致しますからとせがんでも、藤村はお千代の場合のように簡単には、うんと言って諾いてはくれなかったであろう。