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こぞうのゆめ
潤一郎ラビリンスV――少年の王国
谷崎 潤一郎
線上閱讀谷崎 潤一郎《潤一郎ラビリンスV――少年の王国(こぞうのゆめ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 71,989 字 · 144 頁
と云う蓄音器屋がある。主に西洋音楽のレコードを売る家だと見えて、毎日毎日、晩になると往来へ大きなラッパを向けてピアノだのヴァイオリンだの、騒々しい楽隊などの音譜を掛けて鳴らして居る。己は何だか初めのうちはチンプンカンプンでさっぱり面白いと思わなかったが、だんだん聞き馴れて来るうちに、折々うっとりと耳を傾けるようになった。いつであったか、己は帳場の火鉢にあたりながら英語の本の復習をやって居ると、何とも云えない流麗な、微妙な声音が、電車の響だの下駄の音だので濁らされて居る、雑沓の夜の巷の噪音を押し拭うようにして、ふいに己の耳元へ伝わって来た。己はその時、自分の眼は本の上へ落ちて居ながら、自分の魂は風を孕んだ帆の如く、奏楽が齎す快感に膨れ上って飄々と虚空に舞い上りつゝあるのを発見した。己は明かに酔わされて居る事を意識した。
やゝ暫くして、奏楽が止んだ時、漸く我に復ったように、本を閉じて顔を擡げた己は、意外にもお嬢さんが己の鼻先に据わって、じっと柱に凭れたまゝ、己と同じく一心に聞き惚れて居らしったのに心付いた。
「あゝよかった。もう一遍聞きたいものだ。」
さも惜しそうに斯う仰しゃったお嬢さんは、まだ幾分か夢心地から醒め切れない様子であった。