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チェーホフのたんぺんについて

カシタンカ・ねむい 他七篇

神西 清

線上閱讀神西 清《カシタンカ・ねむい 他七篇(チェーホフのたんぺんについて)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 46,418 字 · 92 頁

青空文庫

何も人はパンのみで生きると考えていたわけではない。医者といっても彼の信じたのは純正医学の立場であって、医療の方面は寧ろ軽蔑していた。彼がトルストイの『クロイツェル・ソナータ』に反撥したり、ツルゲーネフでは『父と子』など一、二篇をしか認めず、ブールジェの『弟子』を排斥したりしたのは、彼等が科学者の態度を逸脱して天上のことに容喙し、謂わば錬金術師の所業に堕したからなのである。チェーホフは「自分の顕微鏡や探針やメスなどが使える場所でなければ、真理を求めることは出来ない」と言っているが、これはそのまま、「その手に釘の痕を見、わが指を釘の痕にさし入れ」て見なければ基督の復活は信じないと言い張った、不信者トマスの言葉に飜訳することが出来るであろう。

それでは彼は、ゾラ流の実験文学の袋小路に陥ったであろうか。飛んでもないことだ。何よりも忘れてならないことは、彼が真正の科学者だったことである。その心の厳しさと広さをもって、彼は人性の醜悪を解するとともに、人性の高貴さをも逸しなかった。彼がいわゆる実験小説に対蹠していたことは、丁度わが国で最も深く正しく科学精神をつかんでいた鴎外の芸術が、自然主義一派の文学と鋭く対立した事情に酷似していはしまいか。