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はるかなたび
原民喜戦後全小説
原 民喜
線上閱讀原 民喜《原民喜戦後全小説(はるかなたび)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 60,577 字 · 124 頁
知慧
活々した抑揚とか、快い発声法はなく、ただ内に閃くもの、迸るものに随って声を出すのであった。その調子は時に唐突でもあった。
音楽も語学も身につけることが出来なかったが、それだけに名曲を聴きたがったり、英語の単語を覚え込もうとした。その耳が、病気のすすむに随って、だんだん冴えて行った。見えない所でする微かなもの音で、人の立居振舞や気分まで察することが出来たし、他所の家のラジオではっきりと報道を聴きとることもあった。耳はまた、しーんとして夜の静寂を貫き流れる声なき声に聴き入ろうとしていた。
私はその耳にあまり優しい言葉を囁かなかったが、だが、窃かにこの頃懐うことがらを、その耳は他界にあって聴きとるであろうか。
知慧
妻は私にとって、なかなかの知慧袋であった。私は妻から障子の貼り方、キセル掃除の仕方、アイロンの掛け方、字画の順序、算盤の加算などを教わった。字画の順序とか、算盤とかいうものは子供の時に教え込まれて居なければならない筈だと、妻は病床で歯痒がった。
火のおこし方とか、米の磨き方とか、洗濯・掃除なども、女中が雇えなくなってから私は習い覚えた。
そのほか、一つ一つは憶い出せぬ細かなことを教わったと思うし、もっと妻が生きていて呉れたら、まだまだ何かを教わったであろう。