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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
線上閱讀吉川 英治《忘れ残りの記(わすれのこりのき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 頁
後の生涯の足しになるような何も掴んでいなかった。のみならず、その日が何日であったやら日まで忘れてしまっている。唯、十一月の末だったことだけは確かである。
もし自分に日記をつける習慣があったら、きっとその事は多分な感慨で後に書きとめておいたろうが、ぼくには以前からそういう記録癖がちっとも無かった。今でもそうだが、ぞろッぺな一面がどこかにあった。というよりも、そんな貴重な試煉に会っても、それを契機に青年なら青年なりの生命観に触れてみるとか、生涯のエポックとして考えるとか、というまでの自己直視もまだ持っていなかったものだろう。年は十九にもなっていたのだけれど、一こうなおまだ“あんにゃもんにゃ時代”の殻を脱け切れていないうち、この奇禍に遭って、茫然と、薬びたしのわが身を、白いベッドの中に見出していたというのが偽らないぼくの気もちやら姿であった。
もちろん三等室である。だが、六畳間ほどな一隅のベッドは、ぼくだけの物だった。いつ眼をさましても白い看護婦の姿が見え、瀬戸の火鉢には湯がチンチン沸いていた。一種のしじまが、重傷患者の気もちを、やがて、すっかり落着かせてくれた。