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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 112,073 字 · 223 頁
「しかし、石川さん」
「なにも云うな、それよりもこれからすぐに道場へいって、柿崎にこう伝えろ」
おみやがそのとき、とつぜん石川の手に噛みついた。石川は「あっ」といったが、噛ませたままで、おみやの手を逆に返した。おみやは膝を折って仰けになり、けんめいに彼の手首の骨を噛んだ。がりりと音のするほど、死にもの狂いで噛まれ、石川は呻き声をあげながら、おみやの弱腰を蹴った。おみやは横ざまにはねとばされ、堤の斜面を、隅田川のほうへ転げ落ちた。
新八は茫然と立っていた。転げ落ちてゆくおみやの、華やかにひるがえる下着の色と、やわらかく膏ぎった、太腿や脛のあらわな白さを眺めながら、動くことも叫ぶこともできず、ただ茫然と立ったままでいた。石川は「駕籠」と呼びながら、堤をおりようとして、その足を停めた。
足軽とみえる若い侍が一人、やはり堤をおりて石川より先に、おみやのそばへ走り寄っていた。その侍は牛の御前のほうから出て来て、おみやの蹴放されるのを見て、なに事とも知らぬまま、駆けつけたようであった。
おみやは汀まで転げ落ち、夢中ではね起きると、こっちへ来るその侍をみつけた。