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ぼくとうきだん
濹東綺譚
永井 荷風
線上閱讀永井 荷風《濹東綺譚(ぼくとうきだん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 57,666 字 · 114 頁
年は無論六十を越している。その顔立、物腰、言葉使から着物の着様に至るまで、東京の下町生粋の風俗を、そのまま崩さずに残しているのが、わたくしの眼には稀覯の古書よりも寧ろ尊くまた懐しく見える。震災のころまでは芝居や寄席の楽屋に行くと一人や二人、こういう江戸下町の年寄に逢うことができた――たとえば音羽屋の男衆の留爺やだの、高嶋屋の使っていた市蔵などいう年寄達であるが、今はいずれもあの世へ行ってしまった。
古本屋の亭主は、わたくしが店先の硝子戸をあける時には、いつでもきまって、中仕切の障子際にきちんと坐り、円い背を少し斜に外の方へ向け、鼻の先へ落ちかかる眼鏡をたよりに、何か読んでいる。わたくしの来る時間も大抵夜の七八時ときまっているが、その度毎に見る老人の坐り場所も其の形も殆どきまっている。戸の明く音に、折かがんだまま、首だけひょいと此方へ向け、「おや、入らっしゃいまし。」と眼鏡をはずし、中腰になって坐布団の塵をぽんと叩き、匐うような腰付で、それを敷きのべながら、さて丁寧に挨拶をする。其言葉も様子もまた型通りに変りがない。
「相変らず何も御在ません。お目にかけるようなものは。