후리가나로 읽는 일본 고전
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やまのこんじゃく
山の今昔
木暮 理太郎
木暮 理太郎의 山の今昔(やまのこんじゃく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 21,554자 · 42화면
徳川時代に於て山登りが如何に普及したかは、中絶していた山の登山が復興し、全国に亙りて「講」と呼ばれる登山結社が設立され、一山にしてよく数十百講、一講にしてよく万を以て数うる信徒を有するものさえあったことから知られる、しかも他講の山に登拝することは互に自由であった。これは生活が安定したので、山を離れては気散じの旅といった気持も手伝っていたに相違ない。恰も現代各地に無数の登山団体が作られ、各所に登山が流行しているのと能く似ていた。異なる所は唯先達の指導精神が飽まで徹底して、山の神聖を汚すような行為が絶対になされなかったことである。啻に中絶していた山が再興されたのみでなく、古人未蹈の山で初登山されたものも少なくなかった。永禄三年六月に木曾長政が登山して以来、暫く中絶の有様であった御岳は、天明五年に黒沢口を改修した覚明行者、寛政四年に王滝口を修造した普寛行者を、共に中興の開山とするが如きは前者の例であり、天明三年六月に南裔和尚が笠ヶ岳に登り、文政十一年七月に播隆上人が槍ヶ岳に登ったのは後者の例である。殊に後者は山が日本北アルプスの中枢にあるだけに、此時代に於ける開山の最後を飾るにふさわしい掉尾の業績であった。