후리가나로 읽는 일본 고전
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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
和辻 哲郎의 日本精神史研究(にほんせいしんしけんきゅう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 208,277자 · 415화면
『古今集』の歌は叙情詩としての本質を遠ざかっている。にもかかわらず、これらの歌が物の感じ方の新しい境地を開いているかのごとくに見えるのは、彼らの概念の遊戯の裏に、実際に新しい感じ方や感覚が、しいたげられつつも、ひそんでいるからである。たとえば『万葉』の歌人が、
きぎしなく高円のへに桜花散り流らふる見む人もがも (巻十、春雑)
春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも (同)
のごとくまともに落花を讃美しあるいは愛惜するに対して、『古今』の歌人は、
久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (春下、紀友則)
と詠嘆する。「春光怡々たるこの閑かな日に、何ゆえに花は心ぜわしく散るか!」落花を惜しむ心を花に投げかけて心ぜわしくと感ずることは『万葉』の歌人のなし得ないところであった。ただ『古今』の歌人は、その花の心になり切ることをしないで、それをまた外から、春日の閑かさに融け入った心から、ながめる。そこに本来相即したものである春日と落花とを、不自然に対立させるというわざとらしさが現われるのである。この新しい感じ方と概念の遊戯との結合は、左の歌において代表的に現わされている。