후리가나로 읽는 일본 고전
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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
和辻 哲郎의 日本精神史研究(にほんせいしんしけんきゅう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 208,277자 · 415화면
……唖漢また道得あるなり。唖声きこゆべし。唖語きくべし」(正法眼蔵道得)と言っているのを見ても、道得はまず第一に言語をもって道い得ることである。この道得に右のごとき所を与えたことを、まず我々は注意しなくてはならぬ。
さらに一歩進んでこの道得は、それ自身独立の活動として規定される。修行者が他人に従って、あるいは「わがちからの能」によって、道得を得るのではない。「かの道得のなかに、むかしも修行し証究す、いまも功夫し弁道す。仏祖の仏祖を功夫して仏祖の道得を弁肯するとき、この道得おのづから三年八年三十年四十年の功夫となりて尽力道得するなり」(同上道得)。すなわち一切の修行は道得のなかに動くのである。道得が功夫として活動し、努力して道得するのである。道得自身の自己道得である。修行者(その修行が道得のなかにある意味においてすでに仏祖である)が数十年の修行は、道得がそれ自身を実現する過程にほかならない。ここに道得は、何人かが道い得る道得ではなくして、主格を抜き去れる道い得ること、すなわち道の能動的な活動として立てられる。ロゴスの自己展開である。
道得をかく規定することによって、道得が功夫となり道得となる活動は、きわめて論理的な姿を得てくる。