후리가나로 읽는 일본 고전
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りりょう
李陵・山月記・弟子・名人伝
中島 敦의 李陵・山月記・弟子・名人伝(りりょう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 65,013자 · 129화면
彼が腐刑に遇ったからとて別に驚く者はない。
司馬氏は元周の史官であった。後、晋に入り、秦に仕え、漢の代となってから四代目の司馬談が武帝に仕えて建元年間に太史令をつとめた。この談が遷の父である。専門たる律・暦・易のほかに道家の教えに精しくまた博く儒、墨、法、名、諸家の説にも通じていたが、それらをすべて一家の見をもって綜べて自己のものとしていた。己の頭脳や精神力についての自信の強さはそっくりそのまま息子の遷に受嗣がれたところのものである。彼が、息子に施した最大の教育は、諸学の伝授を終えてのちに、海内の大旅行をさせたことであった。当時としては変わった教育法であったが、これが後年の歴史家司馬遷に資するところのすこぶる大であったことは、いうまでもない。
元封元年に武帝が東、泰山に登って天を祭ったとき、たまたま周南で病床にあった熱血漢司馬談は、天子始めて漢家の封を建つるめでたきときに、己一人従ってゆくことのできぬのを慨き、憤を発してそのために死んだ。古今を一貫せる通史の編述こそは彼の一生の念願だったのだが、単に材料の蒐集のみで終わってしまったのである。その臨終の光景は息子・遷の筆によって詳しく史記の最後の章に描かれている。