후리가나로 읽는 일본 고전
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わたしのりれきしょ
浅沼稲次郎 私の履歴書ほか
浅沼 稲次郎
浅沼 稲次郎의 浅沼稲次郎 私の履歴書ほか(わたしのりれきしょ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 46,264자 · 91화면
二、早大生のころ
たものである。
二、早大生のころ
大正五年、府立三中を出た私は『早稲田大学に入って政治家になりたい』と父にいったところ、えらくしかられた。父は『政治家というものは財産をスリ減らして家をつぶすのがオチだ、実業家か、慶応の医科に入って医者になれ』という。その反動からどうせ一度は兵隊に行くのだから、いっそのこと軍人を少しやり、しかる後に早大に入ろうと思い、陸軍士官学校を二回、海軍兵学校を一回受けたが、いずれも落第してしまった。早大志望は募るばかりで、同年九月第二学期から編入試験を受けて、早稲田大学に入った。もちろん父の了解を得ず入学したものだから、家を飛び出して馬喰町の友人が経営する文房具店で働きながら勉強した。そのころは第一次大戦は終り、ロシア革命などの影響もあってデモクラシーが思想界を風靡した時代で、大正七年暮には東大に“新人会”が生まれた。早稲田でも東大に負けてなるものかと、同八年高橋清吾、北沢新次郎の両教授に、校外の大山郁夫教授が中心になって“民人同盟会”を作った。
しかしこの“民人同盟会”も、当時の思想界の変動とともに急進派と合理派に分れる羽目になり、急進派の学生は高津正道氏らを中心に暁民会を作り、暁民共産党に発展した。