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このこをのこして
この子を残して
永井 隆
「この子を殘して」大日本雄辯会講談社、1948(昭和23)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,102 字 · 203 页
近所の子供に「うちのお母さんも死んだんだよ」と自慢していたが。何も知らなかったこの子が、もう字を習うようになる。あの日着ていたもんぺもいまは膝までしかない。しかもすっかり擦り切れている。それがたった一つの母の手縫いの形見だ。もう着られない。この子の五体にまつわって、現に守っていた母の愛の名残はこれでなくなった。いま兄さんに手伝ってもらって身につけている物はみんな他人の手になったもの――。これからは他人の愛情だけに包まれて生きてゆくのか? ――もろもろの人の情にはぐくまれ、親はなくとも子は育とうが、しょせん血のつながらぬ人の愛情……。
父私の愛情ひとつでこの子を包みはぐくみたい。ほかのだれの手にもかけたくない。妻よりほかの女の手に、この妻の遺子を触らせたくない。そう胸の中では思いつめておりながら、寝床に就いたきりで、ボタンひとつ縫いつけてやれない無念さ! 情けなさ!
この子の母は女学校で裁縫手芸を教えていたので、家族の着るものは下着、くつ下の類からオーバーに至るまで、ひとつ残らずその手製だった。毛糸で丹念に編み上げた私のオーバーなどは展覧会のたびごとに出品されたので、その間じゅう私はくしゃみをしていたものだ。