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ちいさこべ
ちいさこべ
山本 周五郎
「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1957(昭和32)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,480 字 · 67 页
足音は障子の外で止った。いつものようにこちらの寝息をうかがっているのだろう。おりつもじっと息をひそめた。すると障子がことりと音をたて、ついで静かに、極めて静かに、障子をあけるのが聞えた。おりつはぞっと総毛立った。手足がしぜんとちぢまり、呼吸が喉に詰った。
――障子をあけた、どうする気だろう。
おりつはぎゅっと眼をつむった。不安というよりも殆んど恐怖のために、全身が硬ばり、そして、硬ばったままでふるえだした。そのとき囁く声が聞えた。かすれた、低い喉声で、けれども緊張のためするどくなっているおりつの耳に、はっきりと聞えた。
「おっ母さん」とその声が囁いた、「――おやすみなさい」
そうしてまたごく静かに、そろそろと障子が閉り、忍び足の音が廊下をゆっくりと去っていった。おりつはもうその足音も子供部屋の障子の音も聞こうとはしなかった。彼女は大きく眼をみはり、行燈を暗くしてある部屋のひとところを見まもったまま、かなり長いあいだ身動きもしずにいた。そのうちに、大きくみはった眼から涙があふれだし、喉へ嗚咽がこみあげてきた。おりつは啜り泣きをしながら起き、行燈に掛けてあった半纒を取ると、寝衣の上からひっかけて廊下へ出た。