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ちくしょうだに
ちくしょう谷
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页
「思ったとおりだ」ざっと眼をとおしてから、隼人はそう呟いた、「流罪になって来た者はみな死んでいる、いまいる住民の中には一人の罪人もいない」
部落で生れた子は、みな母親の名しか書いてなかった。父が罪人であるために、そうしたのだと思われるが、母親や娘に同名のものが少なくないため、親子、夫婦、姻戚のつながりがよくわからず、ぜんたいとして、男女関係の混乱していることが想像された。
――ちくしょう谷などと呼ばれるのは、そんなことも原因の一つだろうか。
隼人は肩を落した。押しのけようとして手を掛けた岩が、千貫もある巨巌だとわかったときのような、重くるしく、やりきれない気分におそわれたのであった。正内老人も、かれらを解放し新しい生活につかせることは「困難である」と云った。かれらが長い年月にわたって、人間ばなれのした生活をして来たとすれば、人間らしい生活におそれを感じるのは当然であろう。それなら、この部落で人間らしい生活をはじめさせるがいい、と隼人は思った。
「もしもそれが千貫もある巨巌で、人間の力では押しのけることができないとしたら」と彼は自分の手を見ながら云った、「鑿と槌とで、端から少しずつ欠いてゆくがいい、そのくらいの辛抱はできる筈じゃないか」