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ちくしょうだに
ちくしょう谷
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页
隼人は二三のことを頼んで、まもなく老人に別れを告げた。
道へ出ると岡村七郎兵衛が待ってい、隼人は村を見廻ってから、木戸へ帰った。その途中で、七郎兵衛が「権八は戻っているらしい」と云った。あやを送っていったとき、あやの母親から聞いたのだそうで、唖者娘のいちが、ときどき夜なかになにか持って出てゆく、それが喰べ物らしいので、たぶん権八のところへ届けるのだろう、ということであった。
「それはおかしい」と隼人が云った、「あの娘は誰とも知れぬ男の子をみごもって、権八に鞭で打たれたんだ、それが権八に喰べ物を届けるだろうか」
「幾たびも云うようですが、私は去年の七月から木戸にいます、その点では朝田さんより先輩ですからね」と岡村は気取って、思わせぶりな口調で云った、「ここでは、常識で考えられる以外のことなら、どんなことでもおこりかねませんよ」
「おれはいい先輩を持ったらしいな」
「ついでに云っておきましょう」と岡村が急にまじめな顔で云った、「――あやという娘に気をつけて下さい」
隼人は立停って彼に振向いた。
「なに、格別どうということはありません」岡村は肩をゆりあげ、こんどはとぼけたように云った、「ただあの娘が、たいそう貴方に御執心であり、これは相当に危険だということを」