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ちくしょうだに
ちくしょう谷
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页
――隼人はひとりで、朽葉を踏みながら林の端までいった。どこかで老鶯が鳴き、筒鳥の声が甲高く谷にこだまして聞えた。林の外は勾配の急な斜面が谷底まで続き、杉の若木や雑木林が茂っていて、谷底のほうから、大仏川へ落ちる渓流の音が聞えて来た。芽ぶいてまのない雑木林は、ごく薄い紫色に霞んでみえ、その中にところどころ若木の杉が、白っぽい若みどりの秀をぬいていた。隼人は檜の匂いに包まれながら、遠い渓流の音をぼんやりと聞いている。すると、突然うしろから人に抱きつかれた。
――三度めだ。
隼人は息が止るように思った。岩蔭から射かけられた狙矢、頭上へ襲いかかった岩、そしてこんどはと思ったのは光りの閃くような一瞬のことであった。うしろから抱きついた手は柔らかく、小さく、そしてくくと鳩の鳴くような含み笑いの声が聞えた。
「なんだ」彼は肩の力をぬきながら云った、「あやだな」
それはあやであった。彼女は喉で含み笑いをしながら、うしろからぴったり押しつけた躯で、彼をぐいぐいと押した。
「よせ、どうするんだ」
「朝田先生にいい物を見せてあげる」あやは熱っぽい口ぶりで云った、「向うの林の中にあるの、すぐそこよ」