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いまどしんじゅう
今戸心中
広津 柳浪
「文芸倶楽部」1896(明治29)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,688 字 · 74 页
お熊どんは二三度来てくれたこともあッたから知ッていよう、三四人の奉公人も使ッていたんだが、わずか一年過つか過たない内に――花魁のところに来初めてからちょうど一年ぐらいになるだろうね――店は失くなすし、家は他人の物になッてしまうし、はははは、私しゃ宿なしになッちまッたんだ」
「えッ」と、吉里はびッくりしたが、「ほほほほ、戯言お言いなさんな。そんなことがあるもんですか」
「戯言だ。私も戯言にしたいんだ」
善吉の様子に戯言らしいところはなく、眼には涙を一杯もッて、膝をつかんだ拳は顫えている。
「善さん、本統なんですか」
「私が意気地なしだから……」と、善吉はその上を言い得ないで、頬が顫えて、上唇もなお顫えていた。
冷遇ながら産を破らせ家をも失わしめたかと思うと、吉里は空恐ろしくなッて、全身の血が冷え渡ッたようで、しかも動悸のみ高くしている。
「お神さんはどうなすッたんです」と、ややあって問ねた吉里の声も顫えた。
「嚊かね」と、善吉はしばらく黙して、「宿なしになッちあア、夫婦揃ッて乞食にもなれないから、生家へ返してしまッたんだがね……。ははははは」と、善吉は笑いながら涙を拭いた。