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なつめせんせいのついおく
夏目先生の追憶
和辻 哲郎
「新小説」1917(大正6)年1月臨時号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,272 字 · 21 页
ひいき眼なしに正直に言って、先生ほど常識に富んだ人間通はめったにない。また先生ほど人間のなすべき当然の行ないを尋常に行なっていた人もまれである。ただ先生はその正義の情熱のために、信ずる所をまげる事ができなかった。徳義的脊骨があまりにも固かった。それが卑屈と妥協と中途半端とに慣れた世間の眼に珍しく見えたまでである。
しかし常識的という事が道義的鈍感を意味するならば、先生は常識的ではなかった。先生はいかなる場合にも第一義のものをごまかして通る事ができなかった。たとえ世間が普通の事と認めていようとも、とにかく虚偽や虚礼である以上は、先生はひどくそれをきらった。先生の重んずるのはただ道徳的心情である。形式習慣にむやみと反抗するのではなく、ただ道徳的心情よりいでてのみ動こうとしたのである。これを奇行と呼び偏屈と嘲るのは、世間の道義的水準の低さを思わせるばかりで、世間の名誉にはならない。
先生の博士問題のごときも、これを「奇を衒う」として非難するのは、あまりに自己の卑しい心事をもって他を忖度し過ぎると思う。先生は博士制度が世間的にもまた学界のためにも非常に多くの弊害を伴なう事実に対して怒りを感じた。