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きせつのないまち
季節のない街
山本 周五郎
「朝日新聞 夕刊」1962(昭和37)年4月1日~10月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 201,379 字 · 394 页
街へゆく電車
街へゆく電車
その「街」へゆくのに一本の市電があった。ほかにも道は幾つかあるのだが、市電は一本しか通じていないし、それはレールもなく架線もなく、また車躰さえもないし、乗務員も運転手一人しかいないから、客は乗るわけにはいかないのであった。要するにその市電は、六ちゃんという運転手と、幾らかの備品を除いて、客観的にはすべてが架空のものだったのである。
運転手の六ちゃんは「街」の住人ではない。中通りと呼ばれる、ちょっとした繁華街に、母親のおくにさんと二人でくらしていた。父親はなかった。死んだのか別れたのか、その消息は誰も知らないが、ともかく父親を見た者はなかった。おくにさんは女手でてんぷら屋をいとなみ、六ちゃんと二人で肩身せまくくらしていた。――断わっておくが「てんぷら」屋といっても、じつは精進揚げのことである。
おくにさんは四十がらみで、顔も躯も肥えていた。眼にはあらゆる事物に対する不信と疑惑のいろを湛え、口は蛤のように固くむすばれ、いくらか茶色っぽいかみの毛は、油っけなしのひっ詰め髪に結われていた。
古い伊勢縞か、木綿の布子か、夏は洗いざらした浴衣に、白い割烹前掛をつけ、夏冬とおして衿に手拭を掛けていて、黙っててんぷらを揚げたり、客の応対をしたりするのであった。