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きせつのないまち

季節のない街

山本 周五郎

「朝日新聞 夕刊」1962(昭和37)年4月1日~10月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 201,379 字 · 394 页

青空文庫

父は母を責めなかった。不足の金額は長男に貸した、と聞いたとき、彼女の顔をじっとみつめた。それは奇妙な、いま初めて会う人を見るような眼つきであった。けれどもその瞬間から、父は母に対して口をきかなくなった。母は弁明し、長男の窮状を訴え、金は必ず返る、と繰り返したが、父は聞いているようすもなかった。

病気は自分で治す、二度も治したんだから自信がある、決して心配するなと云い続けたが、父のは奔馬性とかいう悪性のものだったそうで、三度も大量の喀血をし、四たびめのときに、血が気管に詰ったため窒息して死んだ。

学校が冬休みにはいっていたから、辰弥はその臨終を見た。初めに吐いた血を、父は新聞紙で隠しながら、まだ死ねない、いま死んでは困る、いまは困る、と歯をくいしばって叫んだ。

「なにかの本で読んだんですが、夏目漱石が死ぬときにも、同じようなことを云ったそうです」と辰弥は云った、「新聞に書いている小説を中断させたくないためか、小さい子供たちに心が残ったのか、とにかく、いま死ぬことはできない、というようなことを云ったそうです」

たんば老人は眉も動かさず、穏やかな顔でゆっくりと頷いた。