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どんぐり

寺田寅彦随筆集 第一巻

寺田 寅彦

寺田寅彦『寺田寅彦随筆集 第一巻』。同一底本的分册已合并为一书。收入:どんぐり、科学者と芸術家、旅日記から、竜舌蘭、花物語、芝刈り、球根、簔虫と蜘蛛、ねずみと猫、物理学と感覚、先生への通信、病院の夜明けの物音、病室の花、丸善と三越、自画像、春寒、春六題、田園雑感、写生紀行、笑い、案内者、断水の日。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 203,161 字 · 412 页

青空文庫

竜舌蘭

一日じめじめと、人の心を腐らせた霧雨もやんだようで、静かな宵闇の重く湿った空に、どこかの汽笛が長い波線を引く。さっきまで「青葉茂れる桜井の」と繰り返していた隣のオルガンがやむと、まもなく門の鈴が鳴って軒の葉桜のしずくが風のないのにばらばらと落ちる。「初雷様だ、あすはお天気だよ」と勝手のほうでばあさんがひとり言を言う。地の底空の果てから聞こえて来るような重々しい響きが腹にこたえて、昼間読んだ悲惨な小説や、隣の「青葉しげれる桜井の」やらが、今さらに胸をかき乱す。こんな時にはいつもするように、机の上にひじを突いて、頭をおさえて、何もない壁を見つめて、あった昔、ない先の夢幻の影を追う。なんだか思い出そうとしても、思い出せぬ事があってうっとりしていると、雷の音が今度はやや近く聞こえて、ふっと思い出すと共に、ありあり目の前に浮かんだのは、雨にぬれた竜舌蘭の鉢である。

河野の義さんが生まれた年だから、もうかれこれ十四五年の昔になる。自分もまだやっと十か十三ぐらいであったろう。きたる幾日義雄の初節句の祝いをしますから皆さんおいでくださるようにとチョン髷の兼作爺が案内に来て、その時にもらった紅白の餅が大きかった事も覚えている。