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しょうしょうしげもとのはは
少将滋幹の母
谷崎 潤一郎
「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页
彼の場合は、彼を捨てゝ行った妻そのものを取り戻すのでなければ、他の何者を、たといその人の血を分けた現在の我が子を持って来ようとも、決してそんなものに胡麻化されたり紛らされたりするのではなかった。それほど父の母を恋うる心は純粋で、生一本であった。滋幹は、父が彼にやさしく話しかけてくれた記憶を一度も持たない訳ではないが、それは必ず母のことが話題になっていた時に限り、そうでない時の父と云うものは、凡そ子に対して冷淡な人でしかなかった。だが又滋幹は、子を顧みる暇のないほど、母のことで頭が一杯になっていた父であると思うと、その冷淡を少しも恨む気になれず、寧ろそうであってくれたことを嬉しくさえ感じるのであるが、何にしても、あの夜のことがあってからの父は、いよ/\子に対して冷淡になり、滋幹のことなど全く念頭にないように見えた。云って見れば、いつでもじっと眼の前にある虚空の一点を視詰めたきりの人のようであった。そんな訳なので滋幹は、最後の一年間ばかりの父の精神生活について、父自身からは何も聞き得なかったのであるが、でも、父が一時止めていた酒を再び嗜むようになったこと、依然として佛間に閉じ籠ってはいたけれども、もうその壁には普賢菩薩の像が見えなくなっていたこと、そして経文を読む代りに、いつか又白詩を吟ずるようになっていた