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しょうしょうしげもとのはは
少将滋幹の母
谷崎 潤一郎
「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页
と云う詞書の通り、その折彼が出家遁世の念を起して詠んだのであるが、帝の御母后のもとにも馴染の女房があったので、「なり果てむ身をまつ山の時鳥いまは限りとなき隠れなむ」と云う歌をその女の所へ送って、一方では御母后に運動をし、一方では父の好風が帝に哀訴したので、間もなく再び官を賜わったのであった。
勤めぎらいの平中は、宮中への出仕は怠りがちであったらしいが、本院の左大臣のもとへは始終御機嫌伺いに行った。本院と云うのは、中御門の北、堀川の東一丁の所にあった時平の居館の名で、当時時平は故関白太政大臣基経、―――昭宣公の嫡男として、時の帝醍醐帝の皇后穏子の兄として、権威並びない地位にあった。時平(これはトキヒラが本当であろうが、古くからの云い習わしに従って矢張シヘイと呼ぶことにしよう)が左大臣になったのは昌泰二年、二十九歳の時であって、初めの二三年の間は右大臣に菅原道真が控えていたゝめに多少牽制もされたけれども、昌泰四年の正月にその政敵を陥れることに成功してからは、名実共に天下の一の人であった。そして此の物語の時代にも、まだ三十を三つか四つ越したぐらいに過ぎなかった。