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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

ところが、先生が後日、ぼくの作文を手に、顔を朱にしてぼくを戒めた、ことばの要は「作文は、自分の心を率直に云い現わし、文は自分の頭脳で綴るべきものである。いやしくも他人の詩歌などを、自分が作ったもののような振りしてさし挟むべきではない」という叱言だった。

先生は誤解している。俳句は、自分が作ったものだ。ぼくはそれを云おうとしたが、優しい水谷先生が耳の辺まで朱くして云っている余りな真剣さに、つい抗弁ができなかった。ぼくは泣き虫の性だったとみえ、ただ涙をこぼして引っ込んでしまった。そして以後は、それにこりて、俳句などは決してひとに見せなかった。

その南太田尋常高等小学校の裏門のすぐそばに、貸本屋の看板が懸っていた。ぼくら男生徒は、そこを裏門といっていたが、女生徒専用の通用門だったのである。ぼくは、学校が退けると、表門から女生徒の門へぐるりと廻って行って、毎日、そこの貸本屋へ寄り始めた。

貸本屋の主人公は、学校の小使さんだった。だから顔も分っていたし、ぼくの家庭も知っていた。鞄を外すと、そこの薄暗い小部屋に倚りかかって日に一冊ずつ読んで帰った。それがおもしろくて止められなくなっていた。