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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

文士劇でよく演る菊池寛氏の“父帰る”の舞台を見ると、ぼくはあの劇中の父親を、自分の父の姿に擬して、当時のわが家をいつも思い出すのである。ぼくの父は何も、あれほどまで、わが家の灯を恐れ憚りはしなかったし、また、あんなに自己の弱さを肉親へ露呈する気のいい性格でもなかったが、しかしどこかあの芝居に見られる男親心理と、その自責感と、自己反省に悶々とする姿は、ぼくの父とも、多分に共通するものが観える。

もっとも、近頃の刑務所入りなどは、一こう当人も平気だし、政治家ですら自ら吹聴するくらいなものだが、明治の世間における監獄という語感は今日とは全然ちがう白眼視ときびしさをもっていた。幾月にすぎない禁錮にせよ、獄衣を着たという事は、悪徒の社会はべつとして、通常では社会的致命となった。それも世人の顰蹙するなどという程度の制裁ではない。実際の戸籍面にも印されて一生汚れがついたものだった。これを、子供心にもぼくは知っていたのであろうか。以後、職を求めに行ったばあい、先方から戸籍謄本を差出せといわれると、ぼくは、父のたった一度の汚歴だが、まずその事が恥じられて我から怯んでしまうのだった。