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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

ふざけ散らすのは、意識的であった。目に余ると、紫の袴が教壇を下りて来て――「こッちへ、いらっしゃい」と席から立たせ、教壇のわきへ手を引っ張って行って、罰として立たせるのである。ところが、ぼくらの密かな願いは、先生の明眸に睨まれて、そうして貰いたかったのだ。御新造先生の楚々たる歩みと、白い手が、自分の方へ近づいてくると、胸がドキドキしたものである。その手が、他の生徒を引っ張って行くと、ぼくはがッかりしてしまった。

賑やかな町中だし、校庭も広くはない。古い板囲いの壊れ目から覗くと、すぐ隣地の水天宮さまの境内が見える。賽日などは、昼から出ている露店の呼び声や物の匂いがやたらにする。

男女共学などという言葉はなかったが、自然に男女混合だった。もう好きな女の子と、嫌いな女の子があった。好きな女の子と一つ机になった者を、ぼくは羨ましく思うことがよくあった。

雨の日、ぼくらはよく“墨取り”という遊びを机の上でやった。習字は必修科目であったから、硯と墨は、第一の文房具だった。習字の草紙は墨の膠でピカピカに光るほど、その上から上へ、毛筆を重ねて習う。菅原伝授手習鑑の寺小屋の段、あれに近いものと思えば間違いない。