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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

泥遊びしても、着物が汚れないでいいという単純な考えからであったろう。――だからそれを前垂れともエプロンとも云わないで、単にアマサンと称していた。

ぼくも小学生になると、もうアマサンは掛けていなかったが、それは横浜中の子供に流行って、いつのまにか日本の児童風俗になっていた。――これはずッと後年の事だが、横浜短詩社をやっていた弁護士の安斎一安氏から「横浜で子供にアマサンを掛けさせた一番初めの人は、あなたのお母さんでしたよ」と聞かされたことがある。何でも、ぼくの母が一安氏を地方裁判所へ訪ねた時、母に手を引かれていた幼いぼくのエプロン姿がふと眼につき、珍しく思ったので、その着想を褒めたことがあるとの事であった。ぼくには全然記憶にないが、云われてみれば、ぼくはアマサンの元祖であったかもしれない。

成人したら騎手になりたいと空想したのも、この遊行坂時代だった。名ジョッキーとして人気の絶頂にあった神崎騎手の邸宅がすぐ近くにあった。袖垣にバラをからませた鉄柵の門から内を覗くと、中央に広い草花のガーデンが見え、両側が長い厩舎となっていて、奥に宏壮な洋館があった。東京の羽左衛門という千両役者であるとか、新橋の洗い髪のお妻とか、ぽん太とかいう名妓であるとか、やれ大臣だとか何だとかいう種類の人々の俥や馬車がよくそこの門に着いて