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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
はじめて手紙をくれた日から三十年間にも、少しも渝らずに事があるごとに私を引き立て、名前を引きずり出して極まりの悪いくらい、友情は厚くその野性は至純なものだといい、彼の全集のどの頁にも私の名前があるのを見て、みずからにようじん深く悪小説家のたましいを抱いて、いまだに、ずるくぬけぬけと生きていることは少々はずかしい思いであった。私は彼よりも十何年か生きのびている、その十何年間を指折り算えてみて折々大笑し、そしてかえりみて済まんような気がするのである。彼と私とはおたがいにムシが知らせ合ったものを、その半生に持ち合わし照らし合わせていたようなものだ。
『朱欒』には大手拓次の詩も間もなく紹介され、白秋の三羽烏は萩原と大手拓次に私の三人をかぞえた。後年、大木篤夫が白秋の直門になって現われたが、白秋が萩原と私と大手拓次を詩の方で引き出したことは、人の原稿を見分けることでも、なかなかにうるさいぐらいに厳格な人であっただけに、やはり眼は人を見分けることに鋭く行きとどいていたのだ。『朱欒』に詩の出た翌年私は京都に上田敏をたずねた。(―藤井紫影の紹介名刺持参―)詩集『海潮音』