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わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

あとがき

昭和十八年七十二歳で死去、大磯南本町地福寺境内に土葬された。大正二年から十八年まで藤村は凡て計画的に仕事に従事した。きちんと目標を立てて時計の如く正確に、仕事を成就して行った。短篇集『微風』、『後の新片町より』『桜の実の熟する時』『戦争と巴里』、童話集『幼きものに』、『新生』の第一部第二部、『仏蘭西紀行』『藤村全集』『藤村パンフレット』『夜明け前』、感想集『市井にありて』『東方の門』に至って遂に中途で絶筆となった。書かないようでいて生涯をみっちり書いた作家であった。

あとがき著者

本稿の執筆に当り津村信夫とか立原道造、堀辰雄なぞは、夏の間にいそいそとして書くように予定してあった。津村、立原、堀に往来したのは、おもに、夏の季間が多く、場所は軽井沢の町とか草原の途上であった。研究とか調べ物とか読本とかの複雑な仕事をしたことのない私は、その年代閲歴に各詩人に間違いないよう心得ていたものの、一行書いては一冊の詩集をくりかえして読破することに、経験のない私は酷く頭が混雑していた。けれども、今月は立原道造に会えるし来月は津村信夫にも会えるという愉しさが何時も前方にあって、鏡のように明るい軽井沢の家で私は釈迢空にお目にかかれたし、思いがけなく千家元麿の顔もこの外光の中で見られた。