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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
堀辰雄
昭和二十八年九月三日胃癌で永眠、「いまははた 老いかゞまりて、誰よりもかれよりも 低き しはぶきをする」「かくひとり老いかゞまりて ひとのみな憎む日はやく 到りけるかも」これが迢空の絶唱となった。三唱して私は、このえがたい詩人を思う。
堀辰雄
明治四十年、向島土手下の小さい煙草を商う家に、堀辰雄は、祖母と母親にまもられ、かぞえ年四歳になっていた。隅田川の橋を渡って浅草公園に、いつも母親と遊びに行ったが、やはり子供を遊ばせている母親達が辰雄の顔を見ながら、つくづく言った。
「このお子さんは何という俳優のお子さんですか。」
日南地に集まった母親達はこの可愛らしい子供を、どれ、おばさんにも抱っこさせてといい、知らぬ小母さん達に抱き上げられた。よくふとった難の打ちどころのない辰雄の円い顔は、母親の血色をうけ継いで頬も照っていた。
堀の父、上条寿則は彫金師であった。その時代ではそろそろ牛肉も家庭で食べ初めていたのに、堀の家では牛肉はまだ邪物と言われ、家では煮ることをしなかった。だから、辰雄に牛肉を食べさせる時には、やはり公園のすき焼を兼ねた西洋料理店に連れて行って食べさせた。