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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
津村信夫
こういう伝記をかくときだけに彼らは現われ、私は話しこむのである。そして彼らは決して不機嫌ではなくにこにこし、老来、笑いを失いかけている変な顔の私を、むしろ見なれない男のように見ていた。死んだ人というものは、生きている人間には瞬間的では、ちょっと見なれない眼付を夢などで見た時に示すものである。
津村信夫
津村信夫の一家、すなわち父君津村秀松博士(法学)一家と私とは、津村全家を挙げて親しくしていたし、私の小家族もこれに合わせて親戚のような、濃いつきあいをしていた。後に映画の方面で情実を排した峻烈な批評家津村秀夫も、もとは詩人であり、私の前に現われた時は、水戸の高等学校在学中であった。彼の紹介でその弟の津村信夫が登場した軽井沢の家では、まだ白面豊頬の青年で慶応の学帽をかむり、いつも濶達に大声で談笑した青年であった。
軽井沢では秀松博士は三笠ホテルに毎夏滞在され、博士も見えられ私も訪ねたが、温顔謹直な紳士であった。信夫は軽井沢では鶴屋旅館に泊ったが、宿泊料はいつも支払わずに立ち去った。後から秀松博士が来沢された折に、支払う習慣になっていて至極暢びりした風景だった。