轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

私らは別離に耐へることが出来る と     (後略)

私は滅多に人を訪ねることをしないが、立原の家をたずねたことが一度あった。何でも屋根裏のような書斎でよく覚えていないが、帆柱に部屋を取りつけたような構造で、窓が二つくらいあったが、陰鬱な書斎だった。どこにも変った処はない。ただ、その書斎までに若さが装飾され、一つの物でも、生かして眺めるという好奇の風景があった。

立原は自分の部屋の構造を家の娘に画いて来た手紙には、椅子は緑色に、卓はココア色に、窓はセピア色にというふうに、色鉛筆をさまざまにつかい分けて、子供の鉛筆画のように描き上げてあった。彼は色鉛筆が好きで、ドイツ製のババリアとか、レバンスとか、キャッスルとかの鉛筆を蒐集していた。当時、堀辰雄も外国の鉛筆を集めていたので、その影響があったのかも分らぬ、元来が大学では建築を学んでいたし、二年ばかり勤めていた事務所も建築専門であった。だから、建築家と色鉛筆という言葉が、立原には相応しい象徴語であったかも判らぬ。併し私の見た彼の書斎はごちゃごちゃしていて、整理もなかったし、すぐれた装飾も見られなかった。