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わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

秀夫編の年譜によると、犀星の門に入りて師事せしは健康恢復後なり。爾来頻繁に大森なる室生邸を訪ねて懇切なる指導を受け、その家族とも親交す、と書いているが、殆ど、信夫のなまの原稿を読んだことがなく、いつもむだ話ばかりしていた。文学には師弟の関係という鹿爪らしいものはなく、二十も違う年下の友達の前で平然として女性論なども交えていて、何が師弟だか判ったものではない。文学で誰が誰の弟子だなどという者がいたり、あれはおれの弟子だなどと途呆けて言う奴がいたら、それは文学者の風上に置けぬ奴であろう。大抵の場合には誰々もちょいちょい来るが、あれはちょいと書けると言った調子で誰々が出入りしていることが証明されるだけだ、つまり誰々が出入りしているといえば昔の弟子という言葉を、うまく簡単にいい現わしているものなのであろう。

この頃出版された丸山薫の詩集を信濃山中に持って来て読んでいると、私はさらに四、五頁あと戻りして読みあらためた。つまり丸山薫と親交のあった信夫は、私の影響をうけるにはもっと新人だったから、いつの間にか丸山薫の緊密なものを取り容れていたことを、丸山薫の詩集を読みながら此処からも、ながれが立っているように思われた。