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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
しかも、暮鳥の伝記には何時もながらのあじけなさを感じたのは、それは暮鳥の生涯を通じて華かさを持たず、流行の時を築かなかったことにあった。誰でも幾らかはやった時もあるものだが、暮鳥は外から見ては余りにじみであり、そっとしすぎていたようだ。『風景』という詩の雑誌を出していた頃の彼は、わずかな賑かさを提えていたに過ぎないのだ。
山村暮鳥、本名、土田八九十といい、明治十七年一月、群馬県群馬郡堤ヶ岡に生まれた。私は明治二十二年の生まれであるから、暮鳥は私より五つ年上であった。
明治三十二年(十六歳)小学校代用教員となり、前橋市在住の英人宣教師について学びクリスチャンとなった。
明治三十六年(二十歳)築地の聖三一神学校に入学、この年代より次第に文学開眼期にはいり岩野泡鳴、相馬御風等の雑誌『白百合』に短歌を発表するに至った。
明治四十一年(二十五歳)三一神学校卒業後、秋田県横手町に赴任。
大正二年(三十歳)処女詩集『三人の処女』を自費出版、土田富士子と結婚した。
大正四年(三十二歳)詩集『聖三稜玻璃』を室生犀星の経営する人魚詩社から発行、装幀製本一切室生がこれを為し、特製本羊皮製で当時これを金五円で頒布した。