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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
という詩集を送りとどけてくれた時に、私はむねがすっきりする愉快を感じたものだ。私の詩にあるぐにゃぐにゃした抒情風なものを、握り締めたようなきびきびした詩の主体が、私に非凡な詩才をうなずかせた。彼の詩のどれもそつのある表現の詩はない、隅から隅をたたみこんでいる。私は未知の百田に礼状を書いて、『一人と全体』という処女詩集をたいせつに所蔵した。
彼の詩の現われは西欧風で、当時流行った民衆派であったが、民衆派の詩脈がいかにも威張り返ったところがあって、表現は脅迫的でのしかかって来るところに、彼が西欧の詩を悪くうけとっていたことが見られ、私はその点では不賛成であった。併し当時にあってはつねに見事な完成が彼の詩の上に早くもあらわれ、何のことはない、最初から完成している詩人の傾きさえあった。山村暮鳥や萩原朔太郎などと較べると、ずっと、聡明でカチカチ鳴っている男であっただけ、カチカチしたものは、ただのカチカチで終ったところがあった。萩原朔太郎のカチカチ鳴ったものには、黄金のおとがまじっていたとすれば、百田宗治のカチカチには洋銀のおとがあった。こんな事を彼の前で言っても彼は決して怒らない男である。