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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
私も当時結婚していて一子を失うて小田原に初めて菊子夫人に会った。瞳は大きかったけれど、いんぎん懇切なひとがらで、私共夫妻は菊子さんの手料理ではじめて白秋家で、晩の食事を前後を通じただ一度きりご馳走になった。私が二十一歳で白秋を訪ねてから十五年振りでご飯をご馳走になったのだ。白秋の名はいよいよ定まり、私も小説というものを書いて、少しばかりの名を持って対い合ったものであるが、この小僧もとうとう一人前になったと白秋はそう思ったかどうか知らなかったが、始終、機嫌好く、にこにこしていた。人間の成長というものも不思議そうに見れば不思議極まるものである。
昭和十七年十一月二日、北原白秋は亡くなった。それから十三年目に恩地孝四郎も死なれ、その葬いの日に私は十三年ぶりで菊子夫人にお目にかかった。横着者のこの男は、その間に戦争が介在したりして、いちどもお訪ねする折がなかったのだ。恩地の葬いの日は暑い日であった。菊子夫人は永い読経の間の正坐にお疲れの様子に見えたので、私は娘に奥さんに席を代ってお上げして、涼しい処でお休みになるように言いつけ、奥さんはほっとして涼しい縁側に行って小憩されていた。