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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
それは秋で私は父死すという電報の来ている下宿にかえって、その晩、故郷に向いて立ち、十日程して帰京すると千駄木町の通りを行き、思い返して国から持参した吉田屋物の九谷の大皿を抱えて、アトリエの前に立ったが、その日は都合よく光太郎自身が現われ、かれの書斎でしばらく話しておみやげの皿を置いて帰った。私はこんなに人を訪ねるに執拗であったためしも尠ないし、九谷の大皿まで何の気でもっておべっかを尽したのか、そのもとをさぐると高村光太郎の友人になりたかったからである。私みずからを救うのはもちろんだが、光太郎のアトリエにしげしげと通ってあわよくば、大雑誌『スバル』に詩の原稿をすいせんして貰いたい下心があったからであった。けれども人に贈物をしたくても出来ない人間が、それをなし遂げたときには精神的にもうがっかりして、私は光太郎をまたと訪ねる気がしなくなっていた。詩人が贈物で詩を紹介して貰うことに気がさしていたし、ツメタイ眼をみることがいやだったからだ。しかし私は独居の下宿の部屋でときどきあれは誰だったかと、うかぶたくさんの女の人の顔をおもい上げるとき、このツメタイ眼がツメタイために美しく映じてくるのを、怖れた。