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おうぎの

扇野

山本 周五郎

「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 页

青空文庫

栄三郎は支えようとしたが、全身でとびつかれて支えきれずおつるを抱きとめたままうしろへ倒れた。

「どうするんだ、柔術の稽古かね」

彼はそう云って起きようとしたが、おつるは上から重なってしがみついたまま、躯をふるわせて泣きはじめた。しっかりと押付けた彼女の頬から、なま温かく涙が自分の首筋を濡らすのを栄三郎は感じた。おつるは固くしがみついた手で彼の躯を揺すり、ううっとしゃがれた泣き声を喉でころしながら、さも苦しげに身もだえをした。

「なにかあったのか」栄三郎が訊いた、「なにを泣くんだ、どうしたんだ」

おつるは答えなかった。暫くして泣き声が鎮まり、大きく二度、溜息をついて、栄三郎に背を向けて起きあがり、まだしゃくりあげながら涙を拭いた。なにかいやなことでもあったのか、栄三郎も起きて坐り直しながら訊くと、黙って頭を振り、彼のほうへ振向いて恥ずかしそうに笑った。

「おどろいたね」と栄三郎が云った、「酔ってるんだな」

「ずいぶんながかったわ」

おつるは膳のほうへ寄りながら云った。もともとしゃがれ声のうえに泣いたあとなので、その言葉はひどくかすれ、殆んど聞きとれないくらいだった。