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おうぎの
扇野
山本 周五郎
「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 页
九
土地は変ってもそういう点には変りはない筈で、おつるにも世話をされる人がいるであろう。それは初めから予想していたが、今日の石川孝之介の態度で、それが孝之介自身ではないかという疑念をもったのである。
「ねえ、――」と栄三郎は囁くような声で云った、「おつるにはもう、誰かいるんだね」
おつるは立停った。そこは竹藪と松林に挾まれた、まっ暗な道の上でちょうど海のほうへと曲る坂のおり口のところであった。
九
おつるは暗がりの中で彼をみつめ、「ええ」と低くあいまいに頷いたが、すぐ思い返したようにさばさばと云った。
「旦那でしょ、そりゃあいますとも、子供もいますわ」
「子供もいるって」栄三郎はちょっと信じかねた、「しかし、それならなぜ、――どうしてまた座敷へ出たりなんぞするんだ」
「だって好きなんですもの、あたし芸妓が好きなんです、家に引込んで糠味噌臭くなるなんて性に合わないんです」おつるはこう云うと喉の奥で笑った、「さあいきましょ、この坂をおりると海よ」
そしてぱっと裾を蹴りながら、いっさんに坂を駆けおりていった。坂は長くはないが、かなり勾配が急で、おまけに岩がごろごろしている、栄三郎がその岩を一つ一つ踏むようにおりてゆき、下の砂浜へ出たと思うと、おつるが汀のところで叫びたてた。