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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
11 第十一分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 186,659 字 · 372 页
というただ一語にすぎなかった。そして直ちに、措置を考え、あれこれと、名人の指が盤上へ、一石一石と打ち下ろすように、自室から、命令を出してはいたが、独りでいるその居室は、それ以外には、何の気配も咳の声もしなかった。
家康としては、これが、寿命の毒になるほどな、強い心の傷手であったことは、その、常にない容子でも察しられた。
さきに、上田城の真田昌幸が反いて、飼犬に手をかまれたような苦杯をなめたが、数正の離脱は、その比ではない。――まったく、自分の五体の一部と同様、死ぬまでは、離れるものではないと、思いこんでいた数正だったからである。
「……人間は信じられぬ」
元来、彼は、そうだったが、さらにその感を深うした。
ここにも、家康と秀吉と、二者の相違がある。家康は、信じられぬものは人間なりとし、終生、死後百年の計も、その思想に立脚している。秀吉は、正反対である。秀吉は、人間を信じ、人間に溺れた。――後、秀吉は、死ぬ間際には、この家康に、後事を頼んで死んだのである。
二つの世間は、この二人の主宰者の、性格的色彩にも、二つに塗り分けられていた。
――とまれ、数正の出奔は、家康が一生中の不祥事だったし、国中の大事件であった。