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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
11 第十一分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 186,659 字 · 372 页
「意気地のない――」
と、団扇で膝の蚊を追って、
「無限じゃよ、芸術の野は。……ただ、行き暮れるなよ」
「行き暮れそうです。さきほど先生のつぶやかれた、権門に筆を売るのはいやだと仰っしゃったようなことも」
「おまえには、まだ分るまい。――そちは、まだまだ、慾をもって描けばいい。慾で描け、慾で描け」
「と、おっしゃいますのは」
「うまい物を食いたい、よい女子をもちたい、よい屋敷に住みたい、位置、名声を揚げたい、人によくいわれたい。――そうした慾望を仕事の張り合いにもつがよい。わしがさっきいったのは、その平凡を卒業した後の慾をいったのじゃ」
「すこし分りました」
「あまり分ってくると、何事にも、熱が欠けてくる。そうなっても、契情のたかい人を、真の画人というのじゃろうな。……お、話に、身がいって、気がつかなんだ。山楽」
「はい」
「たれか、門を、訪れておりはせぬか」
山楽は、庭越しの枝折戸のほうへ、耳をすまして、
「ほんに」
と、急に、師のまえを退がって、住居の入口から出て行った。
「どなたですか?」
枝折戸の内で、山楽は、明けないうちに、内からたずねた。
女の声で。
「こちらは、狩野永徳様のお住居でございましょうか」